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人には、他人からの承認を得ることによって自分の価値を確認したいという願望がある。

以下引用・・・



フランスに留学しているとき、よくこんな光景を目にしました。ある日本人が、現地に溶け込もうとがんばってフランス人たちと話そうとしている別の日本人のことを、「あいつ、文法もまともにできないくせに」と陰口をする、という光景です。

 本当は陰口を言っている日本人も、同じようにフランス人たちと話したいんです。でも、うまく話せなくて恥をかくことが怖いから、なかなか話せない。つまり周りの「空気」が気になって仕方ないのですが、それが逆に「空気」を気にせず話そうとしている人の足を引っぱる方向に向かってしまうのです。ねたみが人を萎縮させる圧力になってしまうんですね。

日本では、例えば会社などに勤めて社会関係に浸かっていれば、とりあえず他人からの攻撃や非難の矢面に立たされることはないと考えられます。一方でそうした社会関係になじめず、そこを飛び出そうとする人もいます。そういう人に待ち受けている叩かれ方の1つが、自己決定や自己責任を追及されるというものです。

われわれは「空気」を読むことで何を求めているのでしょうか。それは他人からの承認です。言い換えるなら、周りの人から受け入れられることで「居場所」を確保しようとしている。他人からの承認がうまく得られないと、「居場所」がなくなり不安になってしまう。だからよけいに「空気」を読みあう関係を互いに形成してしまうのです。

よく、日本人は欧米の人たちと交渉や議論をすることが苦手だといわれますが、それはおそらく日本人が「空気」を読みすぎることと無関係ではないでしょう。 互いの違いを当然の前提として「言いたいことを言う」というコミュニケーションのあり方に慣れていないので、堂々と自己主張することがどうしても苦手になってしまうのです。

おそらく現代では、「空気」を読むことが個人の資質や能力の問題として求められているのでしょう。だから個人主義の流れと「空気」を読む圧力とはけっして矛盾しない。「空気」をうまく読むことができなかった結果、何らかの不利益を被ったとしても、「自己責任」とされてしまうことが、それを物語っています。

90年代に、ますます進行する国際化を前にして「もっと自己主張ができる人間を」ということが教育のなかでも唱えられましたが、結局はうまくいきませんでした。個人主義をも「空気を読むこと」のなかに呑み込んでしまう力が、この社会にはありますね。

日本でもフランスでも、他人から評価され承認されることが生きるうえで重要な要素となっていることには変わりありません。人は、自分で自分の存在価値を証明することができない以上、他人から評価され承認されることで初めて自分の存在価値を確認することになりますから。

人間は身体的なレベルで不足なく生活していれば満足できるという生き物ではありません。みんな自分にはどれぐらいの存在価値や存在理由があるのかが 気になってしょうがない。人間はいずれ自分が死んでしまうことを知っているので、「たまたま生まれて死んでいくだけ」という存在の無根拠性に常にさらされています。その無根拠性から救ってくれるのが、一方では“宗教”であり、他方では“他人からの評価や承認”なんですね。
 つまり、承認はあらゆる人間に共通した実存的なテーマです。しかしながら、その共通のテーマに対する構えは、日本とフランスでは大きく異なっています。

いちばん感じたのは、自分のアイデンティティを支えるためにはどこまで「空気」を読まないといけないのかという程度の違いです。フランスでは日本のように、他人の反応の細かいところにまでいちいち一喜一憂することはありません。自己の存在価値の証明のなかで、周りから受け入れられるかどうかということの重要性がそんなに高ないんですね。

逆にいうと、日本人が「空気」を大事にしているということは、それだけ日本人は他人からの承認に依存しているということです。そのつどの「空気」のなかで周りから受け入れられることが、自己の存在証明にとってひじょうに重要になっているんですね。

精神的に不安定になってしまう日本人をたくさん見たことですね。こちらは一生懸命「空気」を読んで気を遣っているのに、周りは思ったように自分を受け入れてくれないと感じて、不全感を募らせたり、攻撃的な性格になってしまう人がけっこういました。

 実際に精神的に病んでしまう日本人もいましたね。在フランス日本大使館の顧問精神科医である太田博昭さんが書かれた『パリ症候群』という本があります。 これは1991年に出された本ですが、それによれば、うつや統合失調になってしまった日本人留学生がたくさん彼のもとに駆け込んできたり、連れてこられたりするそうです。多くの場合、大使館が身内に連絡をして、一緒に帰国してもらうそうですが。

 私が留学していた時代も事態はあんまり変わっていませんでした。私がパリで友達になった日本人に20代前半の画家志望の男性がいました。彼は留学して1年ぐらい経った頃から、意味不明なことをときどき言うようになり、「おかしいな」と思っていると、夜中に街を徘徊するようになりました。しかも本人はその間ことをまったく覚えていない。

 とうとう彼は一週間ほど行方不明になったあと、裸で保護されました。彼もけっきょく大使館の世話になって帰国しましたが、ほかにも幻聴を訴える人や欝を患っている人を何人も見ましたね。
もちろん慣れない外国で暮らすこと自体、大きなストレスになりますが、コミュニケーション上の問題でいうと、こちらが「空気」を読んで周りに気を遣っているほどには向こうの人たちはそうしてくれない、ということがいちばん大きな要因なのではないでしょうか。

みんなフランスに憧れて留学したわけですから、当然、フランス社会に自分も受け入れられたいって思いますよね。でも、こちらが望んだようには誰も自分を扱ってはくれません。ときには「フランス人は冷たい」とすら感じてしまう。そうして、多くの人が承認不足や不全感を募らせてしまうのです。
 ただし実際にはフランスの人たちがことさら「冷たい」というわけではありません。単に、我々のようには他人にかまわない、他人に求めるものが我々とは違う、というだけです。当然フランスにだって優しい人はたくさんいるし、困っていたらみんな助けてくれます。

そうです。要は「日本で過ごしていた時のように人から受け入れられたい」というメンタリティのままパリに来てしまうので、カフェでの注文のやり取り1つとっても冷たく感じてしまうんですね。日本のように、ひざをついて猫なで声で注文を聞く飲食店なんてありませんから。

 つまり、我々はそれだけこの社会で、他人からどう評価され、受け入れられるのか、どこまでちやほやしてもらえるのかということに敏感なコミュニケーションモードのもとで生きているということです。
 フランスでは我々の予想以上に「空気」を読むことが通用しません。周りの目を気遣わずにはいられなかったり、「空気」を読むことに見切りをつけられない人は、相当のストレスを感じると思います。


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When I worked at a company, I suffered from depression. Therefore I wanted to study yoga, and I went thru the Bikram Yoga Teacher Training in Fall of 2006.

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